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東洲斎写楽の正体は一体誰なのか? [東洲斎写楽]

浮世絵といえばまず思い浮かぶのは人物では、江戸時代の役者を



モチーフにした東洲斎写楽三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛


Toshusai_Sharaku-_Otani_Oniji,_1794.jpg


風景といえば葛飾北斎の波が荒々しく、奥に富士山がある



富嶽三十六景・神奈川沖浪裏


hokusai.jpg


と他にも数々の浮世絵が存在します。



現代でも浮世絵を現代アートとの混合してある作品が最近では



Twitterに投稿されている。



作者は瀬川三十七さんで



富嶽三十六景・東海道吉田の後ろに新幹線を走らせているGIFアニメ



が大変面白く、世界中で話題になっている。



時代を超えてもなお、浮世絵はアートして現代でも親しまれている、



日本の独自のアートであるといえる記事ではないでしょうか。












東洲斎写楽とは、そしてその正体とは


東洲斎写楽とは江戸時代を代表する浮世絵師で有名です。



江戸時代の中期に約10ヶ月の短い期間に役者絵を中心に約145点の



作品をを版行し、姿を消したとして、正体不明の絵師となっています。



その正体は阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛


ではとされている説が有力になっています。



天保15年1844年の”増補浮世絵類考”には



通名は斎藤十郎兵衛といい、八丁堀に住む、



阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者である



と書かれており、東洲斎写楽の正体が能役者であるといえます。



さて、東洲斎写楽の正体が能役者であるとわかったが、



何故正体が不明といわれていたのか?ということです。



それは1年にも満たない期間でしか活躍していなかったからと



いえるのではないでしょうか。



突如現れ、突如消える。正体がつかめない仮面を被った絵師として



東洲斎写楽の人物が持ち上がったと考えられます。



明治から昭和初期に活躍した版画家の山村耕花さんが東京朝日新聞に



写楽の捜索”の題名で東洲斎写楽の正体に関する考察分を寄稿したのが



始まりではとなっています。



やはり人間の知りたいと思う心からきているんだなと時代を超えても



魅了する人は魅了する。まさにそんな人物が東洲斎写楽の正体では



と思えます。













何故東洲斎写楽は10ヶ月で筆を置いたのか



東洲斎写楽の正体がわかったところで、



何故東洲斎写楽が10ヶ月で筆を置いたのかということです。



当時の浮世絵は芝居興行に合わせて浮世絵を版行していました。


art04.jpg


しかし、東洲斎写楽の画風は特徴をよく捉えて容姿の欠点までも誇張して



描かれていた、(現代でいいますとカリカチュアに似た画風ですね。)



当時のお客さんにはウケがよくなかったとされている。


img_03.jpg


当時の売れ線としては役者を美化して描いた絵でないと売れなかった為、



東洲斎写楽の絵は売れなかった。



だが、”浮世絵類考”には三十数名の絵師の名と略伝の中に東洲斎写楽


の名があったことからやはり写楽は凄い絵師としてみられていたと考えられます。



しかし、本当の所はどうなのかというのはやはり当時を生きていない



現代の私達では知る由もありません。



残念でしょうがありませんが、やはりそこに浪漫があるのではと思います。



時代を超えて評価される東洲斎写楽がやはり天才なのだと感じさせられました。




















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